高校1年の秋の頃からだった。

 考える限り周りから怨まれるような事はしていない。

 突飛な事をして目立つ事もない、そもそもそんなこと私の性格では出来ない

 とにかく、安心して学校生活を送られればそれでよかった。

 同じクラスの月島彩(さや)、その存在だけで私のこれまでの学校生活が一変した

 何の理由もなく因縁を付けられて、目が合うたび暴力を振るわれる

 今日も掃除中に急に背中を強く押し倒され、私はバケツの水をかぶりスカートが汚れた

 これで午後の授業受けないといけないなんて。

 目は合わせられないけど、きっとアイツは、さも楽しそうに哂っているのだろう。

「死ね。」

 頭の上から憎きその声が届く。

 ・・・・お前の方が死ね・・・。

 いつしか私はポケットの中に小刀を隠し持つようになっていた

 そのまま無防備に歩き去っていく姿を見るたび

 いっそのこと・・・と言う殺意が芽生える、それで刺せば―――



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 それが出来ないでいるのは、そうなった後の家族や友達の事を想像してしまうからだろう。

 中途半端に抵抗なんてすれば、どんな報復を受けるかわからない、

 みんな、あいつの事を「何をするかわからない、すぐキレる女」と言ってる。

 正直怖い・・・私は恐怖のない安心できる生活を送りたいのに・・・

 せめて、いつか誰かに痛い目にあってくれれば

 自分でどうにかするなんて、出来そうにもない

 そんな存在しない架空の人物を切に望んでいた。



 6月のとある日、いつものように教室に入った途端友達が話しかけてきた。

「ねぇ茜、聞いて聞いて!」

 茜とは私の事である、フルネームで渡辺茜。

 友達は若干ながら興奮している

「なにかあったの?」

「うん、今日転校生が来るんだって、しかもこの2年4組に。」

 友達は楽しそうに喋る

 こんな時期に転校生なんて珍しい、でもこのクラスに入るって事は・・・

 意識が教室の後ろへ向く、私は確認の為に聞いた

「それって席は一番後ろしか空いてないよね?」

 現在31名、教室で唯一の6列目の席にあの月島彩がいる

 転校生が来ればあいつと同じ列、隣にはならないように配慮されても

 いかにも目を付けられそうな位置、つい同情してしまう。

 あの性格だから何をしでかすかわからない。

 恐る恐る後ろを見ると、案の定物凄く不機嫌な顔をしている。

「ホントあの人怖いよねぇ、ずっと一人だけど友達いないんじゃないの?」

 怪訝な顔をして友達がそう言う

 いるわけないよ、あんな最悪人間なんかに

 あの女の話題になると自分でも心が暗く重くなっていくのを感じる

 あんな奴が悠々と生活しているのが許せなくなる

 私の顔が険しくなる前に話題を変えないと・・・。

「でもどんな人かな?気になるね。」

「さぁー?つい期待しちゃうけど、期待通りにはならないよね。」

 それはそうだ、理想を言えば月島彩を痛い目に合わせてくれる私のヒーローを・・・

 流石にそれは言えない、リアルに感情的すぎて反応に困ってしまうだろう

 またあの女に意識が向いてしまった、また話題を変えないと。

   色々冗談めいた転校生像を話している内、担任の先生が教室に入ってきた。

 担任は国語の教師で冗談が好き、去年も国語の担当だったけど

 授業中よく脱線して全く関係ない話をする

 お陰で、全然内容が進まない、教科書の3分の1以上は結局触れてもいない。

 男子からはそこそこ人望があって「国語じゃなくてなんていうか人生の授業。」って言われてる

 来年は受験だけど3年生には困ると思う。

 今回も冗談が続いて、ドアの前で待ち構えてる転校生が痺れを切らすものかと思っていた

「色々引っ張りたいんだが、あんまり待たせると悪いか・・・おーい、入ってきてくれ。」

 さすがにそれはなかったらしい、当たり前と言えば当たり前の話だけど。

 ドアが開かれる、転校生がどんな人なのか?教室内がそわそわし始める

 颯爽と入ってくる転校生

「うわ・・・・」

 私は思わず感嘆の声が出ていた

 身長も女子の中では高いし美人、悔しいけど胸もありそう

 髪は青っぽい黒で肩までかかっている

 何より惹かれるのは意志の強そうな目、ちょっと怖そうにも見えるが

 教室の隅の奴とは比べるまでもない、一言で評せば「かっこいい」の一言に尽きる。

 彼女はこちらを振り向く。

「私は蒼野マリアと言います、みなさん、これから宜しくお願いします。」

 声も意志の強そうな通る声、性格を物語っている様だった

 その後先生が蒼野さんのことについて軽く伝える

 家族の都合でここに転入した事、成績も優秀で運動も出来る完璧超人だとか

 ここの制服は今週中に届くとか、先生は最近一張羅の紳士服を破いて嘆いているとか

 奥さんと目下冷戦中とか・・・・

 担任自身の話に案の定脱線して1時間目の時間を食いつぶした。



「それで、君の席だが・・・後ろしかないんだが・・・あの辺でいいかな?」

 席の話になる、月島彩は一番後ろの窓側、蒼野さんは廊下側

 それが妥当な判断だろう、というかそれしかない。

 アイツの前の席の人も距離を置いてるから、窓際の人はちょっと机と椅子の空間が狭くてキツい

 転校生も既にあの孤立感を読み取っているだろう

 蒼野さんは教室をちょっと見渡し

「私は窓に近い方が好きだから、彼女の隣でいいですか?」

 そうハッキリと先生に言う。

 信じられない・・・明らかに周りから遊離されている人の隣がいいなんて

 もしかしたら転校生特有の心理なのかも知れない・・・いやさすがにそれは無いか。

 先生が廊下側を薦める

「あっちならここの学級委員長がいるから色々聞けるぞ。」

 蒼野さんが目を向けると、学級委員がぺこっと、軽く会釈をする

 学級委員長は穏やかで丁寧な人だ、悪い印象を持たないだろう。

 蒼野さんは黙って机と椅子を持ってくる、廊下側ではなく月島彩の隣に。

 じっと睨まれているのも意に返さず、椅子に座って、机の埃を手で軽く払う

 そしてアイツの方を向いて手を差し出し

「これから宜しく、できれば名前を聞きたいのだけど。」

 そう挨拶した、もしかして不良仲間?
 それはなかった、当然アイツはそっぽを向いて聞いてないフリをしてる。

 蒼野さんは前の人にも声をかける、その後またアイツに向かって話しかける

「月島サヤさん。」

 前の人からわざわざ聞いたのだろう、いきなり名前を呼ばれて

 月島彩はすぐに振り向く

「何で私の名前を?」

「前の席の人から聞いた。隣同士仲良くしたいと思って。」

 「無理だ」…聞いている人の全てがそう思ったに違いない。

「あのさ、喋らないでくれる?ウザいんですけど。」

 さすが最低人間、端から聞いてても負の感情のこみ上げる返事をした。

 今度こそ蒼野さんもこいつの性格を把握してくれた事だろう。

 そのまま無言で前を向きなおした。



 休み時間になると蒼野さんの周りには人が集まってくる

 遠目でそれを眺めてみる、しかし蒼野さんは余り喋るのが好きでない様子で

 必要最小限の言葉で質問に答えていた、とりあえず彼氏はいない、とか。

 時間が過ぎて昼休み、あいかわらず数人周りに人がいる

 昼食とるのも大変そう・・・、自分もお腹がすいたので弁当を取る

   食べながらふと教壇付近をみると、月島彩がイライラした顔で蒼野さんの方を見ていた

(関わらないようにしないと・・・)

 すぐ目を合わせないよう顔を伏せて、そう祈っていた

 その願いは聞き遂げられず、アイツが近づいてくる音が聞こえる

 視界に足が見える、片足だけ

 もう片足は?・・・疑問より先に答えが出た。

 アイツは机を蹴り、その机が私のお腹に当たった

「うぅっ・・・痛・・・っ」

 何も食べてる時に・・・息が出来ない、苦しい・・・

「ごめ〜ん、足がすべったぁ。」

 その声でまた私の感情が暴れだしそうになる、

 呼吸の仕方を思い出すように 息が少しづつできる様になる

 深呼吸を、一つ、二つ・・・・少し落ち着いてきた。

 アイツはそんな苦労も露知らず、カバンを持って教室から出ようとする

 昼休みで帰るのはいつもの事だった。

 心の中でもう二度と学校に来ないで!と叫ぶ

 廊下に出ようとする時だった

「おい、待てよ。」

 誰かがアイツを止めた、先生でさえ諦めかけているのに、誰――?

 声の先にいたのは蒼野さんだった

 月島彩に向って歩いてくる途中、私の方を見る

 気持ちは嬉しいけど転校していきなり問題になるのはよくない

「ま、待って、私は大丈夫だから・・・」

 きっとケンカになってしまう、止めないといけない。

 しかし彼女は踵を返す、私の話は聞いてない・・・? 

「月島さん、今わざとやったでしょう。」

「そうだけど?何か言いたい事あるの?」

 反省など微塵もない様子で答える。

「ある、彼女に謝れ。」

 謝らせなくていいから・・・と言う気持ちと

 謝らせたいという気持ちが錯交して止めようという気持ちが揺らぐ

 そんな躊躇の時間すら与えず、あの女は近づきそして―殴りかかった

 私は思わず目をつぶる、止めなかった事を心から悔やんだ

 ・・・・・。

「もう一度言う、彼女に謝りな。」

 その声で目を見開く、何ともない、まさか?

 わざわざアイツに近寄るだけあって、その手の自信はあったのだろう

 私には何があったのかはわからないが月島彩は、激昂して更に襲い掛かる

 蒼野さんは流れるような動きで月島のパンチを交わすと同時に

 柔道のような技で投げ飛ばした、無様に倒れる月島

 私は唖然としてこの状況を見ていた

「いた・・・痛い・・・っ」

 膝をついて、蒼野さんを見上げる、既に戦意を失ったのか  そのまま立ち上がって、ヨロヨロと逃げていく

 その姿はまさに負け犬と言う表現が的を射ていた

 クラスの嘲笑と唖然の視線の中、教室を去っていく

 今起こっている事が信じられない、今日現れた転入生はもしかして本当に私の願いが通じた結果・・・?

 「マリア」さんは振り向く、私には彼女に後光が射して見える

 そんな錯覚すら受けた

「大丈夫か?」

 私に話しかける、感激の余りなんて答えていいのかわからなくなる。

「だ、大丈夫です・・・あの・・・ありがとうございま・・・」

「大丈夫ならいい。」

 

 会話を軽く切って彼女も教室を出た

 私だったら転入していきなり・・・いや、そもそも

 今でさえもあの半分、いや10分の1も自己主張できないでいる、

 彼女は白と黒が明瞭に分かれていて、それを選択できるのだろう、私は私の中にある白も黒も相手次第で濁す

 まずは相手の様子から、世間一般で言う小心者だ

 心が小さい者と言う漢字そのものの人間。

 それだけに彼女のダンディズムとも言える行動

 憎きあの女を地に伏せたというカタルシスも相まって、私は彼女に強く憧れた

 休み時間の間ぼーっと黒板の方を眺めて、時折ため息をついていた。